先日、
ココでもご紹介した、なか杉こうさんの詩集「自作おむすび」。
その詩集を実際に手にしてから、もう幾度となく読み返している。
なので今日はあらためてもう一度、この詩集について。
かつて、ポプラ社が主催している「作品市場」というサイトがあった。
自分の作品(詩や小説やエッセイや童話等々)をアップして、
登録者同士感想を書いたり、編集者の評が載ったり、という、テキストサイト。
あたしもそこに作品を登録していて、
時間を見つけては他の参加者の作品をできるだけ読んでいた。
その時、一番最初に、あ、これ良いなぁ、と思ったのが、
なか杉こうさんの詩だったのだ。
その後、これも又今は無き(伝説の?)「ゴザンス」というテキストサイトで
一緒になり、そこでもこうさんは変わらぬ目線で詩を書かれていた。
この詩集は、そのゴザンス時代に書いた詩をまとめたものである。
が、もちろんゴザンス以降も、こうさんは詩を書き続けている。
こつこつと、日々詩を紡いでいる。
そうなのだ。
こうさんは、まるで日記を書くように日々詩を生み出している。
日記を書くように、などというと、
どこかお手軽な、ヒトリゴトの延長のような詩を思うかもしれない。
が、こうさんのそれは、まったく違う。
難しい言葉ではなく、耳に馴染んだ言葉で書かれてはいるけれど、
そこに綴られているのは、日記でもヒトリゴトでもなく、
カラダの中から生み出された、紛れもない「詩」なのだ。
きゅうり
元気? と聞かれて
元気 であるはずもなく
返答につまる。
元気でないと 答えられようか
それこそ思うつぼ
ふんふん ふんふんなんて
共感されて
ふと
心は空へ飛ぶ
歌が聞こえる
たまたま入った
小さな飲み屋
これからあたしは
元気でない話を
しなきゃあなんない
きゅうりを噛む
この人はきゅうり好きなのだろうか
じぶんでなみだがでるほどの話は
人にとってはなんでもない
だから
しかけて やめて
しかけて こわされ
何百回
またきょうも
あきらめの
きゅうりを噛んでいる
心はとっくに 天井に飛んでいて
この詩にかぎらず、作者は、誰にとっても身近な風景の中にいる。
誰にとっても覚えのある光景、出来事。
が、それらを、こうさんの目を通して見てみると、
とっくに忘れていた何かが、ふいに立ち上がってくる。
何かが甦ってきて、あ、と思う。
あの時、たしかに感じていたはずの何か。
立ち止まらずに通り過ぎ、そのまま置き去りにしてしまった何か。
そういうものが、ひょいっと姿を表わす。
だから読みながら、そうだ、そうだった、と、ひとり頷き、
時には、ちくりと刺さる何かにはっとして、時には、ふふっと笑みをこぼす。
「けふはほんとうに」という詩に、こうさんはこんなふうに書いている。
『詩は パソコンの奥の奥の奥の奥に
しまってしまった。
おそらく 永劫に 出てこないに違いない
詩。
捨てるには 忍びなかったのだ 自分の子供みたいなものだからね詩は。
世の中には
気づかなくていいことが沢山あるのだ
と 女はこの頃思う
だから
けふはいい天気だ
腰をのばし 洗濯でもしよう。』
世の中には気づかなくていいことがある、と言う作者は、
誰よりもずっと、色んなことに「気づいて」しまうのだろう。
誰もが見過ごしてしまっていること、
見て見ぬふりをして通りすぎてしまうことを、
こうさんは言葉にしてそっと差しだす。
それが、なか杉こうさんの「詩」なのだ。
そうやって見てみれば、詩は日常のそこかしこに潜んでいるのだ、と、
あらためて思う。
こうさんは、それを静かに掬いとり、手のひらの上に広げて見せてくれる。
ぐいと、強く突き出したりはしない。
だから、たとえそれが悲しみであっても、怒りであっても、どこか優しい。
覚えのある感情に、はっとすることがあっても、嫌な気持ちになったりしない。
よしよしと頭を撫でてもらっているようにさえ思えて、ほっと安堵する。
「けふはほんとうに」という詩は、こんなふうに続いていく。
『人は年をとると
しだいに忘れっぽくなるのは
心配しなくていいようにとの
天のはからい。
けふは ほんとうに。
洗濯物が よく 乾くだろうね 』
「捨てるには忍びなかった」という「詩」を、
いつまでも捨てずにいてほしいと思う。
あたし達の見過ごしてしまっている日常の中の詩を、
これからも、そっと掬いあげていってほしい、と心底思うのだ。
---------------- 8×キリトリセン ----------------
詩というものには、ほんとうに様々なスタイルがある。
詩には詳しくないので、系統立てて説明することもできないし、
きちんとした解説も解釈もできない。
でも、読み手にとっては、そんなことはどちらでもよくて、
ただ、好きだと思う詩を好きなように感じて読めばいいのだと思う。
少なくとも、あたしはそうやって読んでいる(笑)
その様々な詩の中には、
日常の言葉で綴られた「分かりやすくて読みやすい」という詩があって、
WEBでも数多く見かける。
が、そういうものはどちらかというと「詩のようなもの」であって、
カラダの中から生み出した、紛れもない詩というのにはあまり出会えない。
歴とした詩でありながら、誰もが共鳴できる何かを持っている、
そんな詩って、ありそうでなかなかないものなのだ。
時に巷で話題になるような、分かりやすくて読みやすい詩というのは、
どちらかというとメッセージ性の強いものが多くて、
かえって自由に読めないような気がすることがある。
そこへいくと、なか杉こうさんの詩は、自由だ。
そして誰にとっても身近に感じることができる詩だ。
もしかしたら、こういう詩を待っているヒトは多いのではないか。
詩集は、商業ベースにのせるのが難しいといわれるけれど、
(コンスタントに商業出版されている詩集といえば銀色夏生さんくらいしか
思い浮かばない)なか杉こうさんの詩は、それができるのではないか、と、
あたしは秘かに(?)思っていたりする。
ご本人は、あたしなど、と、いつも謙遜されるのだけれども。
ということで。出版社のみなさん、ぜひご検討を(笑)
↓amazonからも購入できるようになりました。
自作おむすび―詩集
著者 なか杉こう
挿絵・表紙 あべようこ (別名 蒲公英さん)
かまくら春秋社 1260円(税込) 頁数 200頁
なか杉こうさんのブログは↓こちら。
「こう・ストーリーズ」
http://kohnakasug.exblog.jp/
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そういえば、ゴザンス時代のこうさんの詩を、
「サイトから取り入れ整理してお送りくださった」のが、やはりゴザンス
ライターだった蒲公英さんで、それでこの詩集が生まれたのだという。
たぶん蒲公英さんも、この詩をこのままWEBに埋もれさせておくのは
もったいない、と、強く思われたのだろう。
こうさんの詩の力が、そうさせたのだとも言える。
あたしもずっと、こうさんの詩を沢山のヒトに読んでほしい、と
思ってきたけれど、こんなふうに形にできる蒲公英さんって素晴らしい。
こうさんのファンとしても、感謝、です。
*ちなみに、引用させてもらった詩「きゅうり」は、
IEでは縦書きになっているはずですが、
Firefoxでは横書き表示になってしまいます。
もし変なレイアウトになっていたら、ごめんなさい。